||| 演奏会案内へ戻る | コラムINDEXに戻る |||

クライス・サロンコンサート

フルート・コミュニケーション[8]


−ソロイスツの演奏会で配布するミニ新聞に掲載された気ままなコラムです−

ホームソロイスツ後 記コラムINDEX


Vol.1〜Vol.6   Vol.7〜Vol.12   Vol.13〜Vol.18

Vol.19〜Vol.24   Vol.25〜Vol.30   Vol.31〜Vol.36

Vol.37〜Vol.48   [ Vol.49〜Vol.72 ]  [ Vol.73〜  ]


  • Vol.49:携帯電話 (2000.7/22)

  • Vol.50:災   難 (2000.8/19)

  • Vol.51:数   字 (2000.9/2)

  • Vol.65:他   人 (2001.11/17)

  • 第1回特別公演:気 分 屋 (2002.3/23)

  • Vol.70:季 節 感 (2002.4/13)

  • Vol.71:歩くこと (2002.5/25)

  • Vol.72:初めまして、斎藤歩です (2002.6/22)

  •  
  • フルート・コミュニケーション-Vol.49-2000.7/22(Sat.)
     (クライス・フルート・ソロイスVol.49)

    −携帯電話−

     携帯の普及率には本当に驚かされる。今や携帯を持っていない方が珍しい。レストランでも、ちょっと前までは若者をターゲットにした店では携帯の音は全くしないのに、少し金額の高いレストランでは携帯の音がした。つまり、持つだけでも高価だったのである。しかし、今ではその現象は逆転、若者の多い店ほど携帯の音がうるさい。凄いことである。

     私が初めて携帯を持った頃は、家に電話を引くのと同じ費用が必要で、機械はもちろん大きく、そのくせアナログでナント補償金まで取られた。信じられないようだが、携帯持つだけで20万円、通話料は1分100円だったのだから驚きだ。ほんの5,6年前の話である。

     携帯やパソコンなど先端技術を要する製品の5年はとても長い。野武士がビジネスマンになったようなものなのだ。こうして携帯を使い続けていると最近の通話料がどんどん安くなるのが嬉しい。感動ものである。機械だって以前の物とは比べものにならないほど高性能だ。色々な機能が付いていて遊べる。一番ありがたいのは何と言っても小型軽量だと言うこと。胸のポケットに難無く収まり、タバコよりも気にならない。

     最近の機種は、液晶(画面)がカラーだったり、着信するときの音が単なる呼び出し音ではなくメロディーになってる。和音で鳴らすことも可能だ。

    フン

     我々プロの音楽家にとって、あんな電子音のメロディーなんて、なんぼのモンじゃ!である。ま、耳障りな音よりはマシなのだが、あんなもので喜んでいる人の気が知れない、と思っていた、そう、思ってい、のである。

     私が使っている旧式の携帯の電池が古くなり、充電してもすぐ無くなってしまうようになった。電池を買いにショップへ行くと、最新の機種の1つ前、つまり旧式には違いないのだがごく最近の機種を安く売っているではないか。その価格数千円。これは電池を買うよりイイ、とさっそく購入、旧式とバカにしていたら3和音が出せるではないか、ではないか、ないか、ないか。。。

     やはり耳障りではない和音の出せる着メロはイイです。皆さんもこれにしなさい。え?気が知れない?私、そんなこと言いましたっけ?

    M.K.

      後記VOL.49  コラムINDEX  ソロイスツホーム

  •  
  • フルート・コミュニケーション-Vol.50-2000.8/19(Sat.)
     (クライス・フルート・ソロイスVol.50)

    −災 難−

     関西の大震災は記憶に新しいところだ。被害にあった方々には、それはそれは大変な苦労があったと思う。最近では有珠山噴火や伊豆諸島の地震、三宅島の噴火がある。磐梯山も心配だ。雨が降れば洪水の被害が襲う。対岸の火事 と思っているあなた、他人事ではありませんゾ。

     そこまで大きな事ではなくても我々の身の回りに小さいけれど、ありゃー、こりゃ災難だわ、と思わず口にしてしまうことが沢山ある。

     日頃車での移動が多い私にとって、駅やデパートは災難の宝庫である。人の流れに乗れないのである。エスカレーターに乗ろうとすれば、怒濤のような人並みにはじかれてしまう。それでは、と、階段を上ろうとすると走ってきたサラリーマンがぶつかってくる。「なんだ、こら」とでも言いたげな鋭い視線に、悪くもないのに(いや、悪いのか)「スミマセン」と謝ってしまう。小心者なのだ。上手く駅に立てても電車に乗るのも戦争だ。降りてくる人並みに押され乗り遅れてしまう。今度は逃さないようにと強気で向かうと足を踏まれてしまう。これを災難と言わずして何と言うのか。

     昨年、気晴らしに車で高速を飛ばしていると、オ○○スが誤動作して「ピカッ」っと光った。その後1年以上お咎め無しなので、これはついている(誤動作なのだから当然だが)と思ったのもつかの間、またもや高速を走っているとフロントガラスが「ピシッ」と音を立て亀裂が入ってしまった。飛び石なのだ。前を走っているトラックのタイヤには如何にも小石が挟まっていそうでいまいましい。が、それを証明することは不可能、泣く泣くフロントガラスの交換と相成った。これを災難と言わずして何と言うのであろうか。出費が痛かったぞ。

     その記憶も新しい昨日、私の家族と生徒でお台場へ行った。ある仕事で煮詰まったので気晴らしに行ったのだが、だが、、、、、「ぼこ」と、今度は鈍いがより大きい音を立ててフロントガラスに何かが当たった。「げ、またかよー」災難である。幸い今度はひびが入ることもなく、ネコの足跡のような小さな傷だけで済んだ。繰り返し言うが、災難である。

     極めつけの災難はこれ。私が地方へ仕事で旅行している最中に、ワイフが「車ぶつけたの」と言うメールを早朝携帯に寄越し、それによって起こされた私は、二重の災難なのである。この。

    M.K.

      後記VOL.50  コラムINDEX  ソロイスツホーム

  •  
  • フルート・コミュニケーション-Vol.51-2000.9/2(Sat.)
     (クライス・フルート・ソロイスVol.51)

    −数 字−

     数字ってなんでも表せてとても便利、でも少し不思議なもの、そう思いませんか? ちょっと考えてみると、世の中は数字に牛耳られている。だってそうでしょ、モノには値段がついていて、これって値段がその物の価値を表している。はい、そうですね、値段で全価値を判断するな、ですね、でも善し悪しは別にして、値段によって価値判断の指針にはなっているでしょう?

     ひと頃のように、スーパーのチラシの1円2円に血眼になることは無くなったでしょう。高いものは良い物だ、という信仰もなくなりましたね。今は、世の中にある物は良くて当然、それがいかに安く手に入るかが最大の関心事。同じ物が他店より安く売っていれば、その販売店の人気は上がります。つまり、数字によってその店の価値判断をしているわけで、安く売っている店は数字によってカブが上がるわけです。

     演奏会の場合はちょっと事情が違って、安けりゃイイというものではないのだ。変な話だが、入場料があまり安い演奏会だと、出演者がビッグネームでない限り「大したことないんじゃないの?」と思われてしまう。聴いてみなければ分からないのに、入場料で判断してしまう。ますます数字って怖くなってきますねえ。

     先日テレビを見ていたら、「貯蓄率」なるものをやっていた。へ?初耳だったのだ。縁が無いのがばれてしまうなあ。そこで各国の貯蓄率を比較していたのだが、日本は貯蓄率20%近くで世界のトップクラスなのだそうだ。ウチみたいに限りなくゼロに近い家庭もあるのだから、貯めているところは相当な物なんだろうなあ。。。アメリカは、、、と興味を持ってみていると、なんと貯蓄率 −0.4% なのだそうだ。まいなすぅ???? つまり、収入より消費が勝っていると言うことらしい。へえ、と思うが、良く考えてみれば相当凄いことである。出演していた経済評論家氏、「アメリカ人は細かいこと考えずに今を楽しく生きるんですねえ」と、何とも大雑把で無知・無教養なことを言っていた。1つの数字で大国の価値判断が安易にされてしまう。コワイ話だ。

     人間も数字で判断されている。年収いくらだからスゴイ人だとか(まあ、凄いんだろうなあ)社員1人あたりの売り上げは何億だとか、、、え?私を数字で表して見ろって?

     それでは僭越ながら、、、身長185cm、体重76kg、胸囲112cm、ウエスト68cm、股下86cm、、、ということにしておこう。

    M.K.

      後記VOL.51  コラムINDEX  ソロイスツホーム

  •  
  • フルート・コミュニケーション-Vol.65-2001.11/17(Sat.)
     (クライス・フルート・ソロイスVol.65)

    −他 人−

     先日、とある親友と夜中に長電話をしていた。この友は遠くに住んでいるのだが、よく電話をかけてくる。話していても特に際だった用件がないこともある。まあ、友達なのである。遠距離恋愛のようだ(因みにこの友人は男だが、、、)。

     彼がぼやく。「ついていないんだよオレ、悪いことばっかり、なーんか、イイ事ないかなあ、オレって、行き当たりばったりの人生だからなあ」意味不明である。それでも「そうだな、まったく」などと相づちをうつ。対岸の火事。しかし、私から見れば、彼は自分も持てる可能性や資産を有効に使っていないように思う。隣の芝生かも知れない。しかし、しかーーーし。その実力と地位をフルに稼働させればもっと良いことがあるのにな、と感じてしまう。

     このコラムでも度々使ってきた好きな言葉がある。「百年河清を待つ」。その意味は、人間には限界がある、だから願っても無理なことがあり、そんな時はただひたすら待つしかない、、そんな意味だそうである。待ちぼうけのようだが、いや、待てよ、と思う。

     確かに、切実な例としては演奏技術の向上を願う気持ちがよく理解しやすい。日々の練習に精を出し、真面目に努力していてもその努力に見合った結果が付いてくるとは限らない。大抵は裏切られる。ある一定の時間努力して、その努力が蓄積して初めて結果が付いてくる。上達した瞬間は、その長い蓄積のことなど忘れているから、上達したときだけの努力に注目しがちだ。後になって振り返ってみれば、ああ、貴重な蓄積があったのだな、と冷静になれる。

     河清を待つのはよいが、ただぼーっと、何も考えずに待つのはよろしくないようだ。日々の努力や深い思慮があるからこそ待っていられるのだし、朗報は寝ながら待っていられるのだ。そうでなくては、資産も有効に活用できないというものだ。あーー、そーーなんだぁ、そーーーぅだったのかぁ。はたと気が付いた。

     遠くに住む友人も、ひょっとすると河清を待っているのかもしれない。

     「オレってアホだもん」と憚らずに言う友、しかし、しかーーし。。。無知の知? おぬし、出来るな、柄にもなく。

     と思うことも多々あるのだが、、思い過ごしかも知れない、、、などとあれこれ考えてしまうのも、やはり、隣の芝生なんだろうなあ。

    M.K.

      後記VOL.65  コラムINDEX  ソロイスツホーム

  •  
  • フルート・コミュニケーション-特別編-2002.3/23(Sat.)
     (クライス・フルート・ソロイス第1回特別公演)

    −気 分 屋 −

     自分でもつくづく気分屋だなあ、と思う。さっきまで食べたいと思っていた物が、今になってみると違うものが食べたくなるし、行き先を決めてドライブに出かけても、途中で行き先を変更したりする。周りの者から見れば迷惑な事なのだろうが、その分わかりやすい人間らしい。特に、空腹の時はすぐバレる。機嫌がちょっとでも悪いと「ハラ減っているだろう」と言われる。まあ、大抵そうなのだが。

     思うに、音楽という感情に直接訴える事を長年やっているので、気分屋たる素養も養われてきたのだろう、と思う、きっとそうに違いない。いや、そうなのだ。

     勝手気ままに感情を出して楽だろう、と言われるが決してそんなことはない。これでも自己をコントロールするのに苦労している。演奏会があれば、本番の時に感情が最高潮を迎えるようにと日々苦悩し、演奏だけしていられるのならどんなに楽かと嘆き、やっぱりこの曲やりたくないなあ、と気分は沈み、、、、、あれれ???やっぱり気分屋なんだ。

     今日は、変なコトしないよう、打ち合わせ通りに演奏するよう気を付けマス。

    M.K.

      後記-第1回特別公演  コラムINDEX  ソロイスツホーム

  •  
  • フルート・コミュニケーション-Vol.70-2002.4/13(Sat.)
     (クライス・フルート・ソロイスVol.70)

    − 季 節 感 −

     先月の特別公演ではたくさんの方にお集まり頂き好評を得ることが出来た。皆さんはホームページでの告知をご覧になっていらっしゃった。シアワセなのである。思えばホームページを開設した6年前には思いもよらなかったことで、大袈裟に言えば時代は変わったのであり、自分の人生の中での季節が変わった、と言うことも出来るだろう。

     フルート奏者といっても、やらねばならないことは普通の人と同じで雑多にある。音楽家としての大きな地図というか設計図があり、その中での移り変わりには敏感なつもりだ。前述の言い方を倣えば、生活としての季節の移り変わりにも敏感だ、と言える。

     しかし、悔いのない人生を歩むのには自然を感じること、ホンモノの季節を感じることこそが大事だと思う。日々の敏感で繊細な感性は自己を高めるのに大いに役立つ。芸術ならなおさら、直結する大切な心のあり方だ。

     自然はおおらかで厳しいが、時として人間よりも繊細だと思うことがある。本来なら満開であるはずの葉桜を見てふと思う。これもまた季節感、人間の心に何かを訴えるのだろう、と。

    M.K.

      後記Vol.70  コラムINDEX  ソロイスツホーム

  •  
  • フルート・コミュニケーション-Vol.71-2002.5/25(Sat.)
     (クライス・フルート・ソロイスVol.71)

    −歩くこと−

     私は本来歩くことが大好き。え?と、思う人も多いハズ。そう、この10年くらいはどこへ行くのも必ず車、歩いて10分のコンビニにも車。人間としてどんどん退化しています(笑)。そのかわりどんな遠くでも運転して行けます。

     最近、健康のため、と、極力歩いて出かけることにしています。免許を取る前は、車なんて一生いらない、と豪語していたくらいですから、慣れてくれば(勘を取り戻せば?)楽しいモンです。車では絶対に感じられない季節感も、文字通り肌で感じますし、道を歩く人々を眺めるのも楽しい。世間様に本当に触れている、そんな感じがします。こころが豊かになったような気がして、ちょっと得をした気分。普段歩き慣れている人には、慣れてしまって当たり前になっているだけのことで、気を付ければ楽しい眺めはたくさんあるのだろうと感じます。

     あ、ダイエットしようなどというヨコシマな考えではありません、あくまでも健康のためです。健康とは精神も含まれるはず、精神が病んでいては良い音楽も出来ないというモノです。良い音楽が出来そうな予感がして、それだけでも幸福な気分です。

    M.K.

      後記VOL.71  コラムINDEX  ソロイスツホーム

  •  
  • フルート・コミュニケーション-Vol.72-2002.6/22(Sat.)
     (クライス・フルート・ソロイスVol.72)

    − 初めまして、斎藤歩です −

     最近、いよいよ暑くなって参りました。僕にとっては地獄のような季節で、ちょっと吹くだけで汗が湯水のごとく流れだしてきます。紹介が遅れました、皆様お初にお目にかかります、この度出演する事になりました斉藤歩です。まだまだ未熟で不出来な僕でありますが、今回このような場で上坂先生と共演する事ができ、誠に光栄であります。

     この春より音楽大学の一年生になったのですが、かねてからの疑問がまたふと蘇ったのであります。フルートという楽器には、似合い・不似合いがあるのでは・・・と。当然僕は後者の方なのですが、確実な証拠が今までにいくつもあがっています。

     フルートを初めてはや6年・・それはフルートを始めたばかり中学1年の時の事です。吹奏楽部の盛んだった学校だったので、これはいい機会だと入部を決意。しかし僕を見た先生は、何の迷いもなくトロンボーンをやれとの指令・・フルートをやっていると事情を説明したところ、フルートは前列の為女性の方がいいとの不純な答え。ましてや”僕”では到底駄目だと言う。

     高校一年・・音楽大学の付属高校に入学。さっそくブラスバンド部に入部。しかし同級生・先輩達の心をえぐる言葉の嵐・・・「フルート上手いんだねぇ。専攻は何やってるの?トランペット?打楽器?」そして大学・・「やぁ、初めまして。専攻は?チューバ?トロンボーン?」「楽器は何?トランペットでしょ。」「えっーと、斉藤くんってユーフォニアムだったよね?」

     僕は誰にもフルートと思われません。皆さん、僕はフルート似合ってますか?・・・・

    (あ)

      後記Vol.72  コラムINDEX  ソロイスツホーム


  • Next


    ||| ▲▲ | 演奏会案内へ戻る | コラムINDEXに戻る |||


    Contact