< 音楽の天才・2 〜ベートーヴェン〜 > 出 演:Fl.上坂 学、Pf.近藤 盟子
案外取り上げられることの少ないベートーヴェンの特集です.
●ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(1770.12.16(17受洗)ドイツ、ボン〜1827.3.26ウイーン[56歳])
- ロマンス ヘ長調 Op.50(原曲:Vln,Orch/1798年/28歳)
- ソナタ 変ロ長調(1790年代初頭/20歳台始め?)
−−−−−−−−− Tea Time −−−−−−−−−
- ソナタ ヘ長調「春」Op.24(原曲:Vln,Pf/1800-01年/30-1歳))
アンコールは、近藤盟子 編曲「さくらさくら」でした。
フルートの演奏会に於いてベートーヴェンというのは案外取り上げられる機会が少ない。その理由は、他のフルートの作品群は常にフルートが主役になるよう作られているのに対して、ベートーヴェンの作品ではフルートは「音楽」という創造物を表現するための単なる部品であることだと思う。具体的には、その曲の主旋律を担うより伴奏形を受け持つ比率がとても高い。今晩のプログラム中、ソナタ・変ロ長調はまさにその典型だと思う。真作かどうかの議論はさておき、フルートパートに着目すると確かに伴奏が殆どだ。最も、当時のソナタと言えばピアノが主で、ヴァイオリンソナタでさえ「ヴァイオリンの伴奏付きピアノソナタ」ということになる。それぞれのパートが独自で活躍するのではなく、全部のパートが合わさったときに出来上がる音楽に着目しろ、ということなのだ。そういう意味では、まさにアンサンブル、である。
とはいうものの、特にミニヨンのシリーズでは作曲家自らがフルート奏者であったり、フルートに造詣が深い、又はフルートが大好き、という作曲家を多く取り上げているので、ベートーヴェンは異色に写る。練習していても地味に感じたりするのである。フルートの最も華やかな中・高音が少なく、もこもこと低音を吹かされることが多い。これで本当に演奏効果が上がるのだろうか、と一瞬思ったが、ベートーヴェンのセレナーデ(これも伴奏を担うことが多い)のことを思えば、ちゃんと音楽が完成されるのだろうと思い直すのである。当たり前であるが。
ロマンスは、完全にヴァイオリンの独奏曲なのでフルートで演奏してもいつものようにフルートが主役でいられ、また、原曲がヴァイオリンであるからこそ低音から高音までの広い音域を自在に行き来する。これはこれでフルートに移植してもまったく違和感がない。聴衆の反応も期待通りなのである。ソナタ・変ロ長調は、上にも書いたとおりフルートは伴奏形が多く派手ではない。日頃、このミニヨンの演奏会で派手なフルートに慣れた聴衆にはたして受け入れられるかどうか不安であったが、全くの見当違い、皆さんから面白い、との好評を得た。「フルートもこんな音楽が出来るんですね」とも言われた。新鮮だったんだなあ、ある意味ではミニヨンのプログラムに幅が出来そうだ。いいぞいいぞ。
一番難しいのは、なんと言っても「春」。とにかく有名でヴァイオリンの演奏でのイメージが出来上がっているからだ。旋律の構成は、特に低音が多いわけでもなく、超高音もなく、そしてヴァイオリン特有の奏法、ピチカートや重音が少ないのでフルートでもやり易い。古典時代にはフルートの曲が少ないので、もしこのソナタの演奏が成功すれば私自身のレパートリーにも豊かになる、そんな思惑もあった。
何が難しいかというと、それは曲に対峙する姿勢の問題だ。この曲の演奏を、あくまでもヴァイオリンの曲として演奏するならば、やることをあきらめてさっさとヴァイオリンの元へ戻す方が賢明だ。決してオリジナルに勝てることはないからだ。しかし、創意工夫をしてこの曲を「フルートの曲」として認識し、対峙し、工夫することで状況は変わる。フルートにしかできないこと、フルートの得意な表現方法でこの曲を演奏できたならば新しい曲に出会うのと同等な意義がある。
ヴァイオリンの曲をフルートで演奏する場合、編曲、といってもいいほどの作業が伴うこともしばしばある。その一番大きな理由は音域にある。フルートでは出せない音がたくさんあるからだ。出せない低音があればオクターブ上げて吹き、出せない高音があればオクターブ提げて演奏する、そういう安易な方法も確かに許される場合もある。しかし、それだけではダメだ。音列を読み、何故そうなっているのか、その音の並びでどういう効果を狙っているのかを深く考察しなければならない。そう考えていくと、たとえ演奏可能な音域であってもオクターブを変えて演奏することも出てくる。「春」では、ヴァイオリンが緊張感のある低音のpで演奏するところを、フルートの高音域のpで演奏した方が、譜面通り演奏するよりもはるかに効果が上がる場所があった。また、重音のピチカートも、通常フルートではスタッカートで演奏するところを、音色を極端に変えたメロディとの認識でその場面にあった音色でレガートで演奏した。
他にも色々な工夫があったのだが、それは工夫のし甲斐があるということであって、これから再び演奏すればもっと良くなるだろうという予感があるということだ。曲の中には1度演奏してしまえばそれで満足してしまう曲もある。しかし、今宵演奏したベートヴェンの3曲はまたいつか必ず演奏したい、と思う貴重な作品達だ。そう思うことは、演奏後考えればまだまだやれることがあったと感じるのに、それが出来なかったことに対する強烈な自己批判でもある。
当日頂戴したアンケートの一部をご紹介させて頂きます。
- ロマンスと「春」が良かったです。ロマンスはなんと言ってもヴァイオリンの曲でしょ、と思っていましたが、さすが!やっぱり「フルートの方がイイ!」。フルートの力を再認識させられました。「春」は今までのなかで一番感動しました(女性)
−−−最高のお褒め言葉をありがとう、再演して熟成させていきたいです・・・
- この音楽に満たされた空間に馴染んで数年ですが、皆様方の作りだしている愛に充ちた雰囲気は何物にも代え難いという感じです。ソナタ・変ロ長調良かったです。何故か曲想の中にモーツァルトを感じる場面もありましたが、モーツァルトとベートーヴェンの違いをはっきり分からせてくれる演奏だったと思います。「春」のピアノとフルートのアンサンブルも良かったです(男性)
−−−ありがとうございます。このフルートソナタも、もっと演奏されて良い曲ですね。時にはフルートが伴奏に徹するのも良いものです・・・
ご意見ありがとうございました.