- Column -

クライス・コミュニケーション

室内楽シリーズで配布するミニ新聞に掲載された気ままなコラムです


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[ Vol.1〜6 ]  [ Vol.7〜12 ]  [ Vol.13〜 ]

Vol.1:1991.12/1(Sun.)

Vol.2:1992.3/12(Thur.)

Vol.3:1992.7/17(Fri.)

Vol.4:つれづれに−1992.12/2(Wed.)

Vol.5:自分で−1994.3/18(Fri.)

Vol.6:いたずら書きは、ボクの仕事。−1995.5/26(Fri.)


クライス・コミュニケーションVol.1-1991.12/1(Sun.)

(上坂 学・室内楽シリーズ Vol.13)

 皆様の暖かいご支援を賜わり、当室内楽シリーズも今回で6年目を迎えることができ、大変嬉しく思っています。

 思えば5年前の10月、当シリーズの第1回目をN響の弦楽器奏者をゲストにお迎えして開催したときには、ただ良質の音楽を自分の住む地元(私は武蔵村山市在住ですが、広く多摩地区を地元と考えて)の皆さんと楽しみたいと言う事だけで頭がいっぱいでした。ヨーロッパの小都市(日本に比べれば何処でも小都市ですが..)の様に、人々の住環境の中にとけこんだ音楽活動を目指していました。

 その気持ちは今も持ち続けています。中央の有名なホールで催される有名な音楽家の演奏会と同じ濃い内容の演奏会を、サロン的な気のいい雰囲気の中で楽しめる演奏会を理想とします。最初の頃は何かと苦しい事もありましたが、会を重ねるごとにいつも来てくださる方が増えるのを見て、大変心強く思いました。

 昨今は情報が氾濫し過ぎていて、その情報を選択する余裕もなくただ一方的に受け入れてしまいがちです。情報を伝える主な媒体にテレビがありますが、一旦スイツチを入れてしまうと、とめど無く流れてくる画面に見入ってしまい、テレビをつけるかつけないかと言う事が“情報を選択する”事にならなくなってしまいます。それは買い物も同じで、広告につられて行く大型店舗は確かに大変便利で私自身よく利用しますが、その分個人商店の減少で自分で確かめて買い物をするとか、住環境の中での人とのふれあいが少なくなっているのは確かだと思います。

 やはり豊かな人生を送るには、人と人のふれあいや、自分自身のオリジナリティで物事を判断できる柔軟な思考が大切だと思います。ですから、皆様に“選択”して戴けるような演奏会になるよう希ってやみません。演奏会の休憩時間をTea Timeにして私もロビーで皆さんと一緒にお茶を戴くのも、私自身がとても人が好きで色々な方達とふれあい、話しをし、出演者でありながら演奏会を楽しみたいからです。

 有意義な休憩時間を過ごしたあとの会場の雰囲気は、和やかな中にも熱気が伝わってきて、演奏会というのはその短い時間の中でも生きていて成長して行くものだと感じさせられます。これを一体感と表現するならば、皆さんは確実に演奏会に参加し、演奏会を創って行くスタッフも同然です。そして、素敵な時を会場にいる皆さんと全員で共有できるなんて、なんて素晴らしいことでしょう!M.K.

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クライス・コミュニケーションVol.2-1992.3/12(Thur.)

(上坂 学・室内楽シリーズ Vol.14)

 日増しに春の彩り濃く感じられ、本来ならば一年の中で最も浮かれてよいはずの季節だと言うのに、アレルギー体質の私は、花粉症に悩まされるという最悪の日々を送っています。どちらかというと流行には無頓着の私が、病気だけは現代病の最先端を驀進中で、なに、他の人より自分は身体が繊細なのだと、自慢にもならない自慢をしています。

 本来、人間は大自然の摂理に甘んじるべきだと思います。現代ではそれも難題の一つですが、旬のものをおいしく食べ、夏至や冬至には菖蒲湯や柚子湯にはいり、木々の変化に、そこを通り抜ける風に、季節を感じる事ぐらいは出来そうです。物理的な事は無理でも、このような感受性は大事に大事にしまっておきたいと思います。

 その自然な感受性が、今年の流行になるだろうと、マスコミが言い出したのには、少々驚かせられました。世相を操作しかねないマスコミが自然を論じるのは、なんとも不自然な気がしますが、確かに世の中を見渡せば、その兆候はあるようです。アカペラ(伊,A capella;寺院風に、転じて無伴奏の声楽、合唱)のポップスグループがヒットしたり、ゴスペル(黒人霊歌から派生した賛美歌。黒人霊歌そのものを指す場合もある)シンガーの流行、また“モツ鍋”に代表される、素朴な食事の流行などは、バブルの反省としての世の中の形態なのかもしれません。

 しかしバブルと言っても、世相の星占師(主に経済評論家)に踊らされただけの事ですし、“社畜”などという激烈な事を言い出す人が現われるにいたって、人々はやっと自分達の個性の重要さ、大切さに気付き、本来のスタイルに戻ったという事ではないでしょうか。その現われとしての“アカペラ”や“モツ鍋”なのであれば、世の中もまだ捨てたものではない、かもしれません。

 歴史は繰り返される、とは全くの名言で、比較的短期間の出来事である流行などをとってみても、繰り返しの論理にあてはまる様です。本来の生活形態を由とする人でも、現代の刺激に慣らされているため、飽きがきて流行にはしり、やがてハッと気が付き元に戻るという習性は、私自身にも覚えがあることです。ですが、人生の狭間にどんな事があろうとも、大局的に見てその根底に流れるのは、やはり自然への郷愁だと思います。

 現代人は、それを感受性で主張していると言えそうです。そこに広く芸術の存在意義があるわけで、ジャンルを問わず熱中する姿は「美」ではないでしょうか。M.K.

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クライス・コミュニケーションVol.3-1992.7/17(Fri.)

(上坂 学・室内楽シリーズ Vol.15)

 先日梅雨入りが宣言され、うっとうしい季節の到来となりました。昔は路地のあちらこちらに、その雨を楽しむかのように紫陽花の花が咲いていて、一時うっとうしさを忘れさせてくれたように思います。今はめっきり減った、その風景からかもし出される季節の“におい”は、今も鮮明に思い出すことが出来ます。都会の(日本中どこでも都会と言うことが出来ると思います)雑踏の中で忙しく生きていると、この“におい”の様な自然界からのささやかなメッセージを、感じとることが出来なくなってしまいます。視界に入っても、思い出すことさえ出来ないかもしれません。自然界からのメッセージを感じるとき、人は紛れもなく“地球人”でいることが出来ます。

 人は日々の中で、どの様にあるべきでしょうか。というと、余りにも漠然としていますが、次の様に考えることが出来ると思います。1つ目は家族や親戚など親族の一員としての“家族人”、2つ目は色々な仕事に従事する一員としての“職業人”、3つ目は地域社会の一員としての“市(町村、都道府県)人”、4つ目は一国の一員としての“日本人”、そして最後に我々の住む地球の一員としての“地球人”です。これからの世の中は、(一部では既に)宇宙の一員である“宇宙人”が加わるかもしれません。立場からくるこれらの“顔”を、バランス良く保っていられるのが理想的なはずですが、現実にはなかなかそうはいかない様です。道路や空港、又ゴミ処理場や原子力発電所の建設などに係わる諸問題は、双方の異なる“顔”(立場)から来る利害がぶつかる例としては、よくある事柄です。それらは、簡単に善悪をつけることは出来ません。

 世の中のある場面では、生産性最優先を美徳とする考え方が確実に存在します。勿論それはとても重要で、ある場面では日本を支え、従事している人々は日本を支えている訳です。ですが、人間視野が狭くならない様気をつけていても、一度“職業人”という枠の中に入ってしまうと“枠”の外が見えなくなりがちで、非生産的な音楽など芸術全般は不必要なものとして軽視されてしまいます。しかし、代々世の中の人々が苦境に立たされたとき人々を助けて来た物の一つに音楽があった、というのは歴史的事実です。視野を広く持ち、かつ柔軟な思考を兼ね備えることは、なんて難しい事なのでしょうか。M.K.

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クライス・コミュニケーションVol.4-1992.12/2(Wed.)

(上坂 学・室内楽シリーズ Vol.16)

−つれづれに−

 今年は“異常気象”だと言われてきた数ある夏の中でも記憶に無い程確かに涼しい夏で、他人がセーターを着ている横で正に涼しげな顔で半袖のいでだちを常とする私にとって、別天地のように快適な夏を過ごす事ができました。四季のはっきりとしたこの地で、その大自然の恵みをフルに生かして歴史を創り上げてきた我々日本人にとって、夏は暑いものと考えるのはごくあたりまえの事なのですが、地球規模の長い歴史を振り返りそこに在る様々な変遷を知れば、今年の様な異常気象もほんの“ちょっとした”自然の気まぐれと言えなくもありません。勿論、最近の米騒動?を見れば、冷夏のもたらす深刻さは十分理解できますし、家電業界も大打撃だった事でしょう。しかし“平年並”というマニュアルを糧に物を感じ、暮らして(生きて)いくのは少々危険のような気がします。なぜなら、平年並という聞きなれた言葉も、世の中にあふれている膨大な量の情報の一つに過ぎないと思うからです。何事もなく平穏無事であることは心地好い事なのですが、その度が過ぎて何事にも受け身になってしまうと、我々個人個人の可能性は小さくまとまってしまいかねません。ひいては、マスコミだけが騒いだ先の衆院選のようなしらけた(投票率最低という)結果につながり、我々国民の生活に不都合が生じる可能性が出て来るかも知れないのです。

−受動的か能動的か−

 私は世の中の全ての事柄に対して、勿論自分自身の事柄に於いても受動的でなく能動的でありたいと希っています。たとえば、政治は我々にとても密接な物事であるはずで、選挙がしらけた結果に終わったという事は、民主主義という有り難い制度に対して受動的な傍観者になってしまったという事なのでしょうか。それとも身の回りの多数決という民主主義に、嫌気がさしてしまったのでしょうか。せめて今日この場にいらっしゃる皆さんは、能動的に演奏会に参加して下さるようお願い致します。可笑しければ笑い、良いと思えば楽章の合間でも拍手をなさって良いのです。M.K.

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クライス・コミュニケーションVol.5-1994.3/18(Fri.)

(上坂 学・室内楽シリーズ Vol.20)

- 自分で -

 先月、東京としてはたいそうな雪が降った事は、記憶に新しい事だと思います。首都圏の機能は麻痺し、テレビの臨時ニュースでは常に“大雪情報”を伝えていました。道路では、夏タイヤで無理に走ろうとする車と、慣れぬ雪道に戸惑う車とで大渋滞の有り様でした。突然の雪に、慌ててガソリンスタンドに駆け込み、高価なチエーンを法外な取付料で、それも一時間以上も待たされて取り付けてもらった、という笑えない話しを聞きました。常に車に乗る人ならば、非常時に備えておくことが、ドライバーとしてのマナーですし、高価なチェーンも、ディスカウント・ストアーなら安く買えます。取り付けも、慣れてしまえば5分で十分(初めてでも一時間はかからないでしょう!)、時間とお金の節約になります。いつ故障してしまうかわからない車という機械に(たとえ新車であっても)慣れておくことが、他人に迷惑をかけない秘訣だと思うのですが、如何でしょうか。自分の身の回りを改めて見渡せば、自分で出来る事、一歩進めて言えば自分でした方が良い事が沢山あるのかも知れません。私は、“自分で”という気持ちを大切にするという事が、後には、かけがえのない財産となって戻って来るのだと思えてなりません。

- 演奏会では -

 出演する演奏者自ら企画・開催する演奏会、いわゆる自主公演では、日々の練習より様々な雑用の方に、時間や労力をとられてしまうのが実状です。共演者や会場の担当者、印刷屋さんなどとの色々な折衝は、困難を極める事も少なくありません。しかしそこでの出会いは、物事に対する価値観やセンス、言い換えれば自分の視野を問いただす絶好の場であり、心の財産を蓄積させる場であると考えます。
 音楽を追求する中で、音楽家に最も求められる音楽性は、言い換えれば人間性であり、音楽は演奏する人に依存しているという、あたりまえのことを改めて痛感させらてしまいます。自己を高め、素晴らしい音楽人である為には、何事にも自分からチャレンジする気持ちが、とても尊いものだと感じられるのです。M.K.

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クライス・コミュニケーションVol.6-1995.5/26(Fri.)

(上坂 学・室内楽シリーズ Vol.22)

- いたずら書きは、ボクの仕事。 -

 むかしむかしその昔、あるお母さんが家事の手を休め、一枚のレコードジャケットを取り出し、機械にセットしました。ウン、ターランタ、タータラタッタ、ターラーラーラララー・・・・・・。“田園”が静かに流れ始めました。毎日、家事と育児に追われる中での束の間の休息です。その横で、坊やはレコードのジャケットのいたずら書きに余念がありません。しまいには、レコードそのものに鉛筆をはしらせる始末です。
 その頃は、今日程ピアノが一般的でなく、幼稚園の先生がその教室でオルガンを教えていました。となりの家でピアノを買ったと聞くと、近所中で見にいったりもしました。ある時、お母さんが坊やにオルガンを勧めますが、活発な坊やには“やだ!”の一言で済まされてしまいます。それでも、いたずら書きをしながらもお母さんの横で静かにしているのは、活発な坊やにしてはめずらしい事でした。なにしろちっょと目を離すと、どこへ行ってしまうかわからない子でしたから。

- うん、そうだ、フルートにしよう。 -

 数年の後坊やは学校に上がり、弟もできて立派なお兄ちゃん、のはずなのですが、その落ち着きの無さには磨きがかかり、日曜の朝など朝食もそこそこに家をとび出、友達の家へ上がり込み、そこのお父さんが起きて来る前に本日2度目の朝ご飯、そのお父さんに“なんでおまえがここにいるんだ!”と、あからさまに嫌がられたりしました。
 そんなお兄ちゃんが、ある日突然お母さんにレコードをねだりました。話しを聞いてみると、給食の時間に学校で流れている曲が欲しいと言うのです。調べてみると、それはタンホイザーの大合唱の行進曲でした。お母さんの大好きなクラシック音楽です。さっそく駅前のレコード屋さんで買ってあげました。お兄ちゃんは、野球も一生懸命でしたが、オーケストラも気に入った様子です。特に、一人でも目立つフルートが大のお気に入りでした。

 毎日泥んこになって遊ぶ子の将来を、その時誰が想像出来たでしょうか。 M.K.

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