◆ リニューアル「新つれづれに」はこちら ◆by Manabu Kamisaka ご意見 ExitOp.1〜Op.6 Op.7〜Op.12 [Op.13〜Op.18] Op.19〜Op.24 Op.13:飛騨古川訪問記 其の壱(8/20) Op.14:飛騨古川訪問記 其の弐(8/22) Op.15:飛騨古川訪問記 其の参(8/22) Op.16:加藤元章氏のリサイタルを聴いて(11/8)
〜 1998 〜 Op.18:今さら?でも”Queen”(1/12) |
−見上げればそこは雨降り−
7月11日金曜日早朝「第19回飛騨古川国際音楽祭」出演のため、我々ソロイスツのメンバーは2台の車に分乗し東京を出発しました。ピアノ、打楽器を入れたフル・メンバーでの出演です。
中央自動車道国立府中ICから高速に入り長旅の始まりです。予想所要時間は、中津川ICまで3時間、一般道3時間の計6時間。それも何も問題なかったらの話。本当は松本ICから安房峠を経由しての一般道が最短距離なのですが、大雨のため通行止めになっていてやむなく遠回りをする羽目になったのです。安房峠は冬季も通行止めになるとのことで、長野オリンピックを目指しトンネル工事の真っ最中、この秋開通予定だそうです。国を挙げてのイベントがあると様々な変化をもたらしますね。
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1号車は打楽器の伊勢君が運転する打楽器満載のワン・ボックスカー、志田さんがナビゲーターを務めます。2号車が私です。下呂温泉が近づいてくると、道路わきに「鮎の塩焼き」の看板があちらこちらで目に付きます。時はお昼時、その看板がとても気になります。と、意志が通じたように携帯が鳴り「こちら1号車、伊勢です。そろそろお昼にしたいと思いますが”鮎は”いかがでしょうか」と業務連絡。依存のあろうハズがありません。豪雨の中高速を降りて2時間が過ぎようとしています。下呂温泉で小休止となりました。 下呂温泉街に入り観光案内所へ、食事場所探しです。迷った末にこの温泉街でも1,2を競う高級ホテルにたどり着きました。そこで優雅に食事を、と思っていたのが大失敗。お目当ての鮎がどこにもない。あんなに看板が出ていたのに・・・・・。洋食は後で飛騨牛があるから軽く和食がよいと思っていたのに・・・・・結局和食屋さんに入り、軽い食事をと言いつつみんなで鰻を食べたのでした(心なしか暗い表情の志田さんと伊勢君、疲れのせいばかりでは無さそう)。 十分な休養のあとホテルを出発、仕事も終わっていないのにお土産やさん巡りです。豪雨の中車の乗り降りも大変、しかしみんなの情熱はそれを上回ります。そして古川へ向け再出発。途中飛騨高山で小休止の後、古川に着いたのは東京を出て10時間後のことでした。(続く) M.K. |
−到着、そして古川散策−
今日から二晩メンバーの志田さんのお宅におじゃまします。悪天候の中10時間もかかかってやっと到着、一同ほっと一安心。古川まで来たんだなぁと言う感慨に浸る間もなくお母様の手厚いもてなしが始まりました。「図々しくおじゃまします」とか「どうぞご遠慮なく」とか言葉でありながら言葉にならない挨拶をわぁわぁと交わし部屋に通されると、そこにはお寿司、ピザ、サンドウィッチ、富山名産のますの寿司、etc・・・・・。まぁ、あるわあるわ。予定ではこの後に飛騨牛のステーキが待っているというのに・・・・・長旅で疲れた胃にはさっぱりしたお寿司の食感が心地よく、皆であっと言う間に平らげてしまいました。
JR飛騨古川駅からほど近い場所に、「起こし太鼓の里・飛騨古川会館」や「飛騨の匠文化館」などがあり、その近くには飛騨の古い町並みを見ることが出来ます。まずは起こし太鼓を見学。明日の演奏会で演奏する「組曲・古川って好き」の「起こし太鼓」と言う曲で、起こし太鼓(又は大太鼓)を使いますので打楽器担当の伊勢君は特に興味津々です。実際にみんなでかわるがわるたたいてみました。お腹の底に響きわたるとても素晴らしい音がして一同、ふぅ〜む、と感心、やはり日本人なのだと今さらのように感じ入ってしまいます。後学のためにと、今回の旅行に連れてきた私の娘桃ちゃんも、私と一緒に起こし太鼓をたたいてみました。子供ってこういう鳴り物が大好きですね。はしゃぎながら、しかし熱心にたたいていました。上の写真が起こし太鼓です。
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毎年4月には壮大に古川祭が執り行われます。それは主として、気多若宮神社での神事、御神輿行列、起こし太鼓、屋台行列からなります。「屋台行列」は、3重構造の(3階建て?)9台の美しい屋台が町中を巡ります。その構造はカラクリ人形の仕掛け、塗り師の技、京都からの金具や織物が施された”屋台芸術”と言って良いほどの美しいものです。そして静の「屋台行列」に対して動の「起こし太鼓」は、祭りの開始を告げる合図として目覚ましのために太鼓を打ち鳴らしたのに端を発します。その歴史は天保2年(1831年)に正式に儀式として認められた古いもので、幾度となく禁止令が出された末明治34年(1901年)に解禁された「付け太鼓」の荒々しさが豪快な祭りを演出します。「付け太鼓」を持った衆が「起こし太鼓」に向かって突進する様は壮絶極まりなく、”肋骨を3本折った”などと言う話が当たり前のように聞かれるのです。詳しくは、こちらをご覧下さい。(続く) M.K. |
−いよいよ演奏会です−
昨日の疲れを癒やし万全の体調で演奏会に挑むべく午前中はゆっくり過ごしいざ会場へ。今日もあいにくの雨、お客さんの入りが心配です。会場に向かう車窓から、あちらこちらにポスターが目に付きます。今回、大変お世話になった飛騨古川音楽文化協会(略して音文協)の並々ならぬご苦労が忍ばれます。音文協の主要メンバーは10人ほどで、その合い言葉は”文化は汗だ!”「え?」「だって協会でオーケストラ呼んだってホールがないから体育館に椅子1000脚並べるんだよ、暑い夏に」。ははー、恐れ入りました。そう言えば今回の会場の50センチ程の舞台に”人力で”グランドピアノ搬入していましたっけ。それも何の道具も使わず・・・・・。
今日の演奏会場は最近オープンしたばかりのアートインふれ愛館で、普段は郷土の匠を展示販売しています。ここを訪れた方たちが一休み出来るロビーのようなスペースがあり、そこが演奏会場となります。先程ふれた50センチほどの舞台には、いつもは高価な工芸品が並べられているのです。
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折からの雨で客足が心配されましたが杞憂に終わりました。音文協の皆さんが”汗”を労してセッティングされた約240席の会場に詰めかけたお客様はなんと300人以上。急遽椅子の増設。嬉しくて、ありがたくてメンバーも心温まります。そして次の瞬間には演奏への闘志が、喜びがわいてきたのでした。
プログラム最後の曲を演奏し終えると、待っていたのはブラヴォーの嵐。新聞記事にもなりました。地元出身の志田さんに花を持たせて1人でアンコール、バッハの「アヴェマリア」を演奏しました。最前列の友人・知人の目に”涙”が・・・。
古川に住む方々の文化意識の高さ、そして何よりも音文協のメンバーをはじめとする皆さんの暖かい心に触れ、単なる仕事だけではないとても有意義な旅行となったのでした。
M.K. |
秋の音楽シーズン到来で、本業の方が忙しくしておりましたので、この「つれづれに」も大変久しぶりの更新となりました。決して手を抜いていた訳ではありませんので・・・・・申し訳ありませんでした。
さて、Op.6でもちょっとふれました加藤氏のリサイタル訪問記です。
−まったく、よくやるなぁ、凄い事です−
普通フルートのリサイタルというと、小ホールでピアノと、と言うのが一般的。古典から始まって次第に新しい時代へとプログラムが推移していきます。最後の曲が一番壮大で華やかで大曲。オペラと違い、プログラムが進むほど曲が重くなります。大体「リサイタル」は自主公演がほとんどですので、比較的小規模な公演が一般的なようです。
オーケストラを自費で買い切って、一晩に3曲の協奏曲・・・それも難曲ばかり・・・をいっぺんに吹いてしまうような人、他にいますか。私は聞いたことがありません。当夜のプログラムは、前半、短いオーケストラ曲の後、尾高尚忠(指揮者の尾高忠明氏のお父さん)の協奏曲、イベールの協奏曲、休憩を挟んでハチャトゥリアンの協奏曲、という信じ難いものでした。伴奏は、十束氏指揮、東フィルです。
どの曲も、フルートで音大に進んだ人なら良く知っているのはもちろん、一度は吹いたことがあるはず。私もイベールは2年の学年末試験で、尾高は卒業試験で吹きました。会場にはフルートを持った学生さん達も大勢お見られ、これから始まろうとする演奏会に戦々恐々たる雰囲気が漂っています。
演奏会の1ヶ月前ほどに加藤氏から電話があり演奏会への招待を受けました。その時言っていましたが(プログラムにも書いてあった)、
−演奏は・・・−
そのテクニックは、札響の森君の言葉を借りれば「唖然とする」。難曲を何事もなかったかのように吹ききってしまい、世界ランキングでも(そんなものは無いが)かなりの上位に位置するでしょう。どの曲もテンポは速め、特に音の”のばし方”など、師のランバルの存在がうかがえます。テクニックは凄いだけでなくきわめて安定しているので、聞いていて安心感があります。体力が要求され、それにもまして集中力がポイントとなりますが、この集中力が素晴らしいのだと感じられます。アンコールもビックリです。バッハのアリオーソは良いとして、2曲目のアンコールにサラサーテのカルメンファンジー。ヴァイオリンの超テクニカルな曲を、疲れを微塵も感じさせずに演奏していました。いや、きっとこのぐらいじゃ疲れないんだ、彼は・・・。
打ち上げ会場にやって来た加藤氏は元気そのもの。あと2回は同じプログラムを吹けるのではないかとさえ思えるほど。いやはや、上機嫌の彼を見ているこちらの方が疲れを感じてしまいます。同業者としては彼の演奏に感心してしまい、楽しむ気分になれなかった、というのが正直な感想です。しかし、加藤氏の音楽に対するスタンスは大いに参考になりました。行って良かったと思えた演奏会でした。
M.K.
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立ち食いそばはお好きですか? 夕方、駅のホームで夕食にはまだちょっと時間が早いのだけれど、少しおなかが空いてきたなー、なんて時に漂ってくるイイ匂い。忙しくてなんとなく食事が出来なかった時に遭遇するあの香り。秋葉原でコンピュータ屋巡りをしていて、疲労困憊、そんな時に立ち食いそば屋を見つけたとたんにおそってくる空腹感。誰でも経験があるはずです。あのとてつもなく濃いおつゆ、へなへなの麺。衣だらけの天ぷら。なのにとても美味しい。
かくいう私も一人で立ち食いそば屋に入るときは躊躇する。時間が無くて、しょうがなくて、だから初めて入るんだぞ、という風を気取る。何故だろうか。
それは、立ち食いそばがいわば ベートーヴェン作曲、交響曲第5番”運命”第1楽章 だからである。小学校の教科書にものっていて、クラシックを知らない人でも知っている ウン、ジャジャジャジャーーーーン、ウン、ジャジャジャジャーーーーン、(ウン、は休符。念のため)を 好きだ と公明正大に声高く主張するのには勇気がいる。それに似ている。ベートーヴェンの「運命」は誰もが嫌いではないはずなのに。
だから普段は、「ベートーヴェンなら7番が好きだな」なんて言ったりする。これはとても有名だが通も行くパスタの店、壁の穴に相当。
私は ベートーヴェンのシンフォニーは知り尽くしている。どれも素晴らしいが、特に”運命”のオーケストレーションは素晴らしい。あのオーケストレーションの見事さは”永遠の教科書”と呼ばれるにふさわしい と言う気構えで立ち食いそば屋にはいることにする。 奥が深いのである。 この立ち食いそば論争へ決着を付けたい方は 掲示板 でお待ちしています。 M.K. |
今日、思いついてCDを探しに行ってきました。さがしていたCDはなにを隠そう Queen のCDなのです。そう、ビートルズと良く比較されるイギリスのロックバンド クィーン のことです。なにを今さら、と言うなかれ。良い物はよいのです。大好きな大作、Bohemian Rhapsody、そして最近J-WAVE(しばたあずささんのファンです)でそのタイトルを知ったBicycle Raceが 無性に聞きたくなった からです。
買ったCDは2枚、 オペラ座の夜 と Queen/Greatest Hits です。Queen/Greatest Hitsを買ったのは、聞きたくてもタイトルを忘れてしまった曲が必ず収録されていると思ったからです。やっぱりありました、それは Killer Queen でした。クィーンはどの曲もハーモニーが美しいですね。好きな理由です。
私をクラシックへ導いたのは、小学校1年生の時に給食の時間になると必ず校内放送で流していた、歌劇「アイーダ」の中に出てくる合唱付きの行進曲です。雄大なオーケストラと合唱の響きにすっかり虜になってしまいました。 その後中学に入りフルートを始めたのですが、同時にフォークギターも始め、吉田拓郎、井上揚水、かぐや姫等々に熱中し、高校にはいるとロックにも親しみました。そんな頃このクィーンに出会ったわけです。その他にも熱中したグループに、ディープパープル、ローリングストーンズ、キングクリムゾンなどがあります。不思議とクラシックも平行して聴き、演奏会などにも良く出かけました。 最近になって、車での移動中FMを良く聴くようになりました。時折流れる昔の曲には、懐かしく、当時のことも思い起こされ、とても優しい気持ちになることが出来ます。しかし、人間て不思議ですね、こういう場面では良い思い出しか考えない、良いことより苦いことの方が多いはずなのに・・・・・とにかく、クィーンでたっぷり感傷に浸ることが出来たわけです。何だか幸せ。 ところで日本のロックや歌謡曲には圧倒的に恋愛の歌が多い。ほとんど全部ではないかと感じてしまうほど。それも直球勝負なのものが多い。クイーンやビートルズの「When I'm sixtyfour」みたいな曲だってたまには聞きたい。「私が64歳になって、顔に皺が出来て髪が白くなっても、バレンタインにはワインをプレゼントしてくれますか?」なんて素敵ですよね。以前テレビで宇崎竜童が「みんな恋歌ばかりで、年とったらどうするの?年とっても歌える歌を作りたい」と言っていた。同感。
勿論、恋の歌好きです。 ラヴジェネ よろしく日々 幸せな結末 を口ずさんでいる私なのです。 M.K. |
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記録 後記 |
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